庭のモミジもすっかり色づき、周りの森も燃えるような風景に。ここで過ごす初めての冬がやってきました。
昨日は紅葉狩りに来た両親と、中村正義の美術館へ。ぽっくりぽっくり歩くこと5分。
小さいながらもとても手入れの行き届いた素敵な所で居心地が良い。出された緑茶を片手に絵と庭をぼーっと眺める贅沢な時間。
館長さん(正義氏の娘さん)も凛として素敵な方。手を加えすぎず自然体な雰囲気の庭と建物は、この方そのものなのだなぁ。
庭のモミジもすっかり色づき、周りの森も燃えるような風景に。ここで過ごす初めての冬がやってきました。
昨日は紅葉狩りに来た両親と、中村正義の美術館へ。ぽっくりぽっくり歩くこと5分。
小さいながらもとても手入れの行き届いた素敵な所で居心地が良い。出された緑茶を片手に絵と庭をぼーっと眺める贅沢な時間。
館長さん(正義氏の娘さん)も凛として素敵な方。手を加えすぎず自然体な雰囲気の庭と建物は、この方そのものなのだなぁ。
近所の丘の上にお寺があって、そこに立派な五重塔が建っている。
ぐねぐね道に入り込んで方向感覚を失った時、この五重塔が見えるとなんとなく安心する。
まさにこの町のランドマーク。
そこで先週お祭りがあった。
夕方ごろから境内の提灯がほんのり灯りだして、四方から人が集まってくる。
年配の方の郡上おどりの後、子どもの盆踊り。それと小規模ながらも人気の屋台。
今までお祭りと言えば阿佐ヶ谷の神明宮祭りや七夕まつり、とどちらも大規模で派手目なお祭りだったので、この地域のための小さなお祭りが懐かしくてここちよい。
何よりも、日が暮れだした頃、提灯の灯でほわーっと浮かび上がってきた時の境内の風景が、忘れられない。煌々と照らされる町が多い中、少しの闇とほのかな灯りが感じられる場所に居られたことは、何ともいえず素敵な体験だった。
朝の4時半。夜明けとともに外が騒がしくなる。ウグイス、ヒグラシ、様々な鳥の声。
ウチの北側には樹林地が広がっており、恐らく数十年前までは里山(生活林)として利用されていたのだろうが、今では人の手があまり入っていないようで、随分荒れてしまっている。竹藪も勢力拡大中だ。
それでも、予想以上に生き物の気配を感じたり、季節を感じたりできる貴重な空間となっている。
…日々色を変えながら葉が茂っていく新緑の季節からはじまり、にょきにょきとそこら中から顔を出すタケノコ、どこからともなく出没するアオダイショウ、モグラ、コウモリ、巨大なヤスデ(!)、朝夕の鳥の声、梅雨明け後の蝉しぐれetc…
まだ住みはじめて5か月足らずだが、時間とともに変化する植物や生きものたちに囲まれて暮らす安心感のようなものを感じている。
仕事上、「里山は生き物の宝庫だ」等というフレーズを掲げることが多いが、実感として、実体験として、以前よりもその言葉に重みが感じられるようになったと思う。
これまでほぼ平坦な土地にしか住んだことがなかった私にとって、今住んでいる坂だらけの町は、たまらなく魅力的である。
この近辺は多摩丘陵の縁にあたり、ひだ状の地形が町に有機的に食い込んでいる。
…というよりも、町の開発がひだ状の地形に強引に、容赦なく食い込んでいっている、という方が正しいのか…。
路地裏散歩好きな私にとって「たまらなく魅力的」に映る場所はたいてい、町とその「ひだ」の接点部に多く見られる。
「道は<尾根系>と<谷系>から成る二重構造をもち、その両者を結ぶ所に多くの<坂>がつくられている。」とは陣内秀信氏が『東京の空間人類学』で表現した、東京の山の手の普遍的な仕組みのワンフレーズだが、まさにこの地も、谷系(旧市街地、昔の農村部)と尾根系(昔は雑木林、今はたいてい新市街地となっている)をつなぐ坂や階段、石積みや擁壁などの構造物で町の骨格がつくられており、その原地形をベースとした一見不可解な土地利用が、町歩きにおもしろさを与えている。
複数の開発が見て取れる。各開発の軸線がほとんどずれているのはひだ状地形に順応しているため
(c)2013Google
擁壁と集合住宅の構造体が一体となった構造物。。どこまでが建築なのか…
住宅地に点在する小規模な公園(街区公園)もまた意外性にあふれている。笑ってしまうほどこの土地らしい…。
使える土地(=無理なく水平が確保できる土地)は宅地にして、余った部分をとりあえず公園にしておく感が強い。
だから「広場」というよりは「遊べる道」「遊べる階段」といった方が誤解が少ない。
昨日出会った例はこちら↓。
4層の階段が連続する奥行き感のある入口部。あの先はどんな視界が開けるのか…わくわく
2層目の階段を上ったところ。おっ太鼓橋がひとつ。でも気になるのはあの階段の向こう…
4層目の階段を上がったところ。アベリアで彩られる出口。って、ええー終わってしまった。。。
さらにその先の車道への接続部。お地蔵様とけもの道風なしつらえ。。
この例はかなり極端な例かもしれないが、この町のパーツパーツが、その場所仕様に懸命にカスタマイズされながら、町としての(とりあえずの?)体裁を整えていることが、妙に心を躍らせるのだろうか…。