怒涛の秋・・・

8月停滞していたいくつかの仕事が9月になって一気に動き出した。
設計と調査と編集的なものと・・・
どれも全然違うものなので集中力と頭の切り替えが必要なのだが、正直私は同時並行が苦手。
ひとつをがーっと集中してアップしてから次に移る。という方が性に合っている。

・・・そんなこんなで苦手な同時並行作業をひーひー言いながら進めている怒涛の秋。
そんなタイミングで子供が入れ替わり熱を出したりする(涙)

依頼されたお仕事はできるだけお請けすることを心がけていますが、さすがに11月いっぱいまでは小さいお仕事ですら請けられない状況です。
そして大きめなお仕事は来年度からがベターです・・・
一人事務所の限界を感じる今日この頃・・・

2020

2020年の東京でのオリンピック開催が決定してしまった。
「しまった」とはなんとも後ろ向きな言葉だが、決まってしまったのだからもう前向きにとらえるしかない。汚染水問題や諸々の課題解決にタイムリミットができたことは、ある意味よかったのかもしれない。
子供の「オリンピックが近くで見られるの?!」という純粋で嬉しそうなリアクションにも少し救われた。私にとっても生まれて初めて体験する東京開催なのだから…。

これから7年間の東京建設ラッシュ・・・考えただけでも目まいがするが、先日読んだ、JIA MAGAZINEの槇文彦氏による特別寄稿「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」は深く同意させられる内容だった。新国立競技場案のプログラムの妥当性や土地の歴史、景観等を踏まえた再検討をしながら、東京らしい開催会場づくりが進んでいくことを願う。

小さなお祭り

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近所の丘の上にお寺があって、そこに立派な五重塔が建っている。
ぐねぐね道に入り込んで方向感覚を失った時、この五重塔が見えるとなんとなく安心する。
まさにこの町のランドマーク。
そこで先週お祭りがあった。
夕方ごろから境内の提灯がほんのり灯りだして、四方から人が集まってくる。
年配の方の郡上おどりの後、子どもの盆踊り。それと小規模ながらも人気の屋台。
今までお祭りと言えば阿佐ヶ谷の神明宮祭りや七夕まつり、とどちらも大規模で派手目なお祭りだったので、この地域のための小さなお祭りが懐かしくてここちよい。

何よりも、日が暮れだした頃、提灯の灯でほわーっと浮かび上がってきた時の境内の風景が、忘れられない。煌々と照らされる町が多い中、少しの闇とほのかな灯りが感じられる場所に居られたことは、何ともいえず素敵な体験だった。
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東京ミッドタウンへ

あっという間に夏休みも終わり、あっという間に日常に戻ってしまった今日この頃…
もう数週間前のことですが、小1の息子と東京ミッドタウンに1日デート。
たまには都会も見せとかないと…というか正直私が行きたかっただけです。
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まずは、21-21デザインサイトのカラーハンティング展へ。
空や植物、土、動物etc‥・自然界の色を採集するというとても興味深いアート。
世界中に散らばっている色を色々な手法で魅せたり比較したり。
後半部分は参加型展示も多く、親子でも大人だけでも楽しめる展覧会でした。

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そして、ランチは予てから入ってみたかった内藤廣氏設計のとらや 東京ミッドタウン店へ。
ここは「音」にこだわって設計したとある本に書いてあったので、実はそれを体感したかったのです。できるだけ隣の席の会話が耳障りにならないように吸音性の高い内装材を使っているとのこと。こればっかりは雑誌では伝わってこないですからね…。
実際、絨毯敷きのフロアーや穴あきブロックの壁面など音を吸収しそうなやわらかな素材に囲まれて、妙に落ち着く空間でした。満席状態なのに確かに声が響かない。不思議ですね。息子ともいつもより穏やかに(?)話せたような気がします。
食器もシンプルで上品。大満足なひとときでした。

「花開く江戸の園芸」展に行ってきました

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江戸東京博物館で開催中の「花開く江戸の園芸」展に行ってきました。
昨秋の緑化フェアTOKYOの浜離宮恩賜庭園会場で展示された「庭園都市 江戸・東京館」の内容をパワーアップさせた感じで、ぐいぐい江戸園芸の世界に惹き込まれました!

イギリスの植物学者、ロバート・フォーチュンが江戸時代に訪日した時に感じた花を愛でる日本の国民性に対する驚きからはじまり、将軍から庶民まで植物を生活や行事に欠かせないものとして取り入れていた様子、万年青や朝顔など武士が愛した奇品の数々、そこから発展していった江戸園芸三花(朝顔・花菖蒲・菊)と、どれもが美しい図版等によってストーリー作られていました。

中でも、なるほどーと思ったのは「第二章 普及する植木鉢と高まる園芸熱」で、「植木鉢」の普及が庶民へ園芸文化を広めていったという視点。
植木鉢は植物の運搬を容易にし、販売と栽培の両面からそれまでの園芸のありかたに大きな変化をもたらしていった。すなわち、植木鉢が植物の「販売」や「購入」を可能にし、それを契機に園芸植物が商品として(売るためのものとして)改良され、文化の発展につながったということだ。
お祭りや行事にも植木鉢が装飾ツールとして手軽に取り入れられたり、家の内外に陳列させたりして、より身近なものとして将軍から庶民にまで浸透していく様子が伝わってきました。

開館20周年を迎えた江戸東京博物館で、江戸時代の園芸文化を取り扱ったのは、意外にもこれが初めてなんだそうです。これからもっと江戸園芸や庭園について取り上げてもらえたらうれしいです。
・・・と望んでいる人はたっくさんいるはず!

変化朝顔が咲きました-2

7月23日に報告後、今朝で全部の種類の変化朝顔が咲きました!
柳葉青采咲牡丹
↑こちらがQ623の出物、お名前は、青抱柳葉 青采咲牡丹(たぶん…最初が葉の特徴、後ろが花の特徴)
繊細できれいー。一番のお気に入りです。

↓こちらがQ623の親木の青抱並葉 青筒白丸咲(再登場)。確かに色は一緒ですね。
130723

↓こちらがQ478の出物、黄握爪龍葉茶覆輪風鈴獅子咲牡丹 かな?自信ないな… ここまでくると、縮れすぎちゃって、大丈夫?枯れてない?みたいな感じです…
黄握爪龍葉茶覆輪風鈴獅子咲牡丹

↓こちらも同じくQ478。出物か親木か分からず…黄抱並葉 茶吹雪なのかな?「茶」とはいえ渋いピンクがすてきです。
獅子咲牡丹

↓7/23にはQ478の出物!って書いちゃったけど、親木だったのかな。黄抱並葉 覆輪丸咲?
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…拾い読みばっかりしているから、曖昧さ満載の報告でした(汗)

※「花開く江戸の園芸」に一番上の写真を送ったら早速アップされていました。

http://www.edo-engei.jp/asagao/

続々と集まっていて楽しすぎ!

季節とともに生活すること

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朝の4時半。夜明けとともに外が騒がしくなる。ウグイス、ヒグラシ、様々な鳥の声。

ウチの北側には樹林地が広がっており、恐らく数十年前までは里山(生活林)として利用されていたのだろうが、今では人の手があまり入っていないようで、随分荒れてしまっている。竹藪も勢力拡大中だ。
それでも、予想以上に生き物の気配を感じたり、季節を感じたりできる貴重な空間となっている。
…日々色を変えながら葉が茂っていく新緑の季節からはじまり、にょきにょきとそこら中から顔を出すタケノコ、どこからともなく出没するアオダイショウ、モグラ、コウモリ、巨大なヤスデ(!)、朝夕の鳥の声、梅雨明け後の蝉しぐれetc…
まだ住みはじめて5か月足らずだが、時間とともに変化する植物や生きものたちに囲まれて暮らす安心感のようなものを感じている。
仕事上、「里山は生き物の宝庫だ」等というフレーズを掲げることが多いが、実感として、実体験として、以前よりもその言葉に重みが感じられるようになったと思う。

提案書、提案書

6,7月は提案書を何本まとめただろう。。。と遠い目をしてしまうほど提案書作成の依頼が多い月だった。早々に良いお知らせを戴いたものもあるし、目下製作中のものも多々…。

提案と言っても、当事者になる場合もあるし、当事者でない場合もある。
後者の場合は、当事者の思いを一気に聞いて、それを一つの流れにまとめることが私の役目となる。
気持ちをニュートラルにして大事なポイント、キーワードを抽出して、言葉を紡ぐ。
こんがらかった糸をほどいていく気分。当事者でないから気づくこともあるのかな、と思ったりもする。

変化朝顔が咲きました。

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7/7にご紹介した変化朝顔がついに咲きました。
一番咲きは一昨日の21日、Q623の親木でした。目の覚めるような青紫色。アサガオってこんなに美しかったっけ…と見入ってしまうほど。

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そして2番目に咲いたのは今朝、Q478の出物でした!!
バラのような八重のピンク色。

いやー感動的。
これから違う色・形の花が続々と咲くと思うと、毎朝が楽しみ。
息子の小学校から持って帰ってきた朝顔とともに観察続きの今年の夏。

「水田→弾薬庫→公園」と歴史を刻む公園

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連日の猛暑の中、プールOPENにあわせて横浜市にある「こどもの国」に行った。この公園は、どの広場も森による囲まれ感がここちよい。プールもしかり。泳ぎながら森林浴できるってなかなか貴重な存在。

ここは広さ約100ヘクタール、多摩丘陵の雑木林をそのまま生かした自然の遊び場で、今では遠足の聖地と言われるほど平和の象徴的な公園として定着しているが、以前(戦時中)は弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)として使われていた歴史がある。敗戦後の1961年に「こどもの国」用地として日本に返還されるまで、米軍弾薬庫として接収されていたのが功を奏し、都会の中でも広大な自然がそのまま残されることが可能となったのだそうだ。

それにしても園内は広大かつ自然の曲線が多く全体像がつかみにくい。…が、この『横浜こどもの国の今昔』という3枚の変遷図を見つけて、深く納得。弾薬製造貯蔵施設として利用される前は、見事な谷戸(谷津田)だったのだ!
こどもの国今昔s
(C)永野達代の鳥瞰図ギャラリー

森に深く入り込んだ2つの谷戸の水田部分が戦時中、弾薬を運搬するための引込み線や道路となり、さらにその弾薬庫関連施設として利用されていた部分が「こどもの国」の園路・広場となったわけだ。

まさに時代とともに変遷する土地の利用・・・だけどその時代ごとに地形をうまく読み込んで、取り込んで、各々の機能とかたちを実に巧みに地形とフィットさせている。
もう一度じっくりと歩いてみたくなった。