●建設物価臨時増刊1999.01 「特集: これからの公園づくりを考える」(1) :公園をその地域に馴染ませるにはどうしたらいいのか・・・ということについて考えました。

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1.地域性とは
「あれ誰もいない…」
こんなにまできれいさっぱりとした公園は珍しい。最近整備されたのか、ベンチもまだ傷一つ無く芝生も青々としている。
その町に何箇所かある公園は皆同じように町の隅でしんとしている。
住民はどこへ行ってしまったのだろうかと見渡してみると、公園とは然程離れていない道端や、公民館の前の小さな空地、店の前のちょっとした隙間等、町の至る所に自発的な集いの場を用意している住民の元気な姿を見つけることができた。そこでは井戸端会議や食事の場、時には歌会の場としても活用されているのだった。
それら住民の憩いの場は、特に誘致圏等を考えて均一に配置されたものではないが、その町の生活動線や行動パターンに合致した場所に配置されており、住民の日常生活に何の隔たりもなく溶け込んでいるように感じられた。
一方、利用されていなかった公園は、機能的には特に不備は見られないのだが、それらは町の中を歩いていて「唐突に」現れる印象が強く、計画するにあたり既存の町の骨格を十分に読み込まなかったため、住民の生活とはほとんど接点なく配置されてしまったように思われた。 「児童公園」から「街区公園」へと都市公園法が改正されてから5年ほど経過している。それは、少子化・高齢化社会という時代の流れを受け、「児童だけでなく幅広い年齢層」を対象とするための改正であり、それまでは児童のための遊具や植栽・広場等を「設置しなければならない」とされていたものが、改正後はその地域の実情に合わせ「必要に応じて設置する」という柔軟性を有したものとなった1)。そのため、地域性や周辺状況を考慮した公園施設の個別設定が可能となった。
しかし配置計画については街区公園となっても「行動範囲が限定される児童の利用を勘案することが必要である2)」という理由により、改正項目としては挙げられていない。
また、もともと「都市公園」に対する規定内容が公園施設・規模・誘致距離などの公園単独で完結される都市の中の位置付けだけであり、都市側から発生する諸要素との関わりについては触れられておらず、街区公園・近隣公園等の都市公園種別も、規模などの違いはあるが、それぞれが都市の中で「どういう役割を果たすのか」という位置付けは成されていない。
しかし前述した町の公園利用の低さからも分かる様に、地域性を有した公園としてそれらを活性化させるためには、もはや公園単独による施設内容の見直しだけでなく、公園外部との関わりや公園の役割等を明確にした上での計画が必要となってきているのではないだろうか。


2.生活空間の取込み
そこで問題となるのは、法制度上では規定されていない「地域性」をどう捉えるか、ということだろう。計画者による多様な解釈が可能だが、街区公園のような住民にとって最も身近な小公園を対象とすると、「如何に公園を住民の日常生活に近づけるか」ということが地域性を考慮した公園計画の課題として挙げられるといえる。つまりその公園の器となる都市側から発生する、多様な生活要素を受け止める空間として公園を位置付けることによって公園自体が地域化されると考える。
周囲にある「生活空間」そのものが固有の地域性である。
その様な生きた空間としての公園計画を行うためにいくつかの視点を考えてみる。


3.無意識的な公園利用
まず1つ目は、そこにある日常的な生活空間の読込みである。
「日常的な生活空間」とは、日常的に住民が利用している場所、例えば駅や学校、商店、図書館、美術館、バス停、緑道など点的なものから線的なものまで様々な空間があげられるが、それらの利用動線との関連性や施設の取り込みを考慮した公園配置とすることで、生活領域と公園領域とが融合化され、今まで「公園に行く」という意識的な行為を伴って利用されていたものが、「たまたま公園だった」というような無意識的な利用形態へと変化していくことが可能になると考える。
また、図書館や美術館などが公園の中に設置されている例はよく見うけられるが、その利用者が公園利用者か施設利用者かという判別は難しく、両者が利用の活性化に対して相乗的な効果を発揮していると捉えられ、その点においても両空間の融合化は効果的なのではないかと思われる。
それら配置計画を町全体で成立させうる事例としてニュータウンが挙げられる。
既成市街地では社会的障害が多く、純粋なものとしての実現化は困難な状況であるが、初期段階から町全体の都市基盤を構築していくニュータウン計画においては、それが実現可能となる貴重な事例であるといえる。
港北ニュータウンにおいては、「グリーンマトリックス・システム」を公園緑地整備計画の基本方針としてあげ、様々なオープンスペース(公園緑地・校庭・広場・住棟間空地等)や緑地資源(斜面樹林・屋敷林・水系等)、歴史的遺産を緑道及び歩行者専用道路の軸として束ね、連続するオープンスペース群として体系化3)している。
それによって歩行空間と公園緑地空間が有機的に絡み合い、緑道や歩専道を歩いていると、それら空間を媒体とした複合的な利用が為され、住民の多様な行動を誘発させているのが分かる。
また、緑地等の多層構造を成立させている土地利用上の仕組みとして、緑道等の「公園緑地用地」、歩専道等の「道路用地」4)、集合住宅地内にある公開空地等の「民有地」、といった公有地だけでなく民有地も含めた様々な用地を連続配置させている所に、町全体の中での公園緑地をより効果の高いものとさせている要因があるといえる。

この様な都市構造的な規模における公園配置計画はニュータウン等の特殊なケースのみ実現性を有することになるが、そこで明らかになった融合空間の有効性を小規模空間でも活かし、生活動線を取込んだ形で公園と周辺環境との連続性・諸施設との関連性を持たせた配置としていくことは「無意識的な公園利用」を可能とさせる重要な要素であると言えるだろう。
4.心理的バリアの解消
次に、前述の周辺との関連性を持たせた公園配置を有効的に機能させる条件としてもいえることだが、「管理機能を如何に払拭化させていくか」ということが挙げられる。
公園の中には、飛び出し防止や違法駐車防止、管理区域の明示など過保護・心配性とも思える程のフェンス等による「敷地囲い込み」を行っているものがみられる。それによって、物理的な効果はある程度期待できるが、心理的な面としては逆に利用者を遠ざけ、町に澱みをもたらしていることが指摘されるであろう。
これは単なるオープンな空間を評価しているのではなく、周囲との関わり方を判断した上で、「閉じる・開く」という操作を行い、管理機能の過剰性からくる不必要な囲い込みは極力避ける必要性を指している。
その様な管理的問題をクリアーしている事例として新宿区の花園公園・小学校が挙げられる。全国的にも「小学校と公園」の一体的整備は増加してきており、それらは震災や戦災復興時における「防災拠点及び社会教育的な場の確保5)」という必要性から発生した小学校と公園の隣接配置であるが、時代の要請によって「コミュニティの場の確保」としての改修整備が行われつつある。
花園公園・小学校・幼稚園では、改修にあたり公園と学校間の区道を廃止し周囲等に代替機能を設定することによって、校庭と公園の連続的な空間確保を実現させている6)。また、校庭と公園のつながりだけでなく、外周道路との境界部や校舎と広場との連結部は最低限の管理的設えとなっているため、利用者に対する威圧感は全く感じさせず、多くの人の利用に供されている。
それら不特定多数が利用可能な状況に対し、計画当初PTA等から心配の声も挙がったようだが6)、管理者側の「地域に開かれた施設化」という目標達成の熱意により、そのフリーアクセス的な計画は最終的に理解され、現在の状況に至っている。
また、校庭・公園の運営にあたっては、学校・団体・一般の3者を利用時間によって区分してはいるが、あくまでも責任所在の明確化を目的とした規定であり、実際は互いの利用を妨げないという利用者のモラルに拠る融通性を持たせた運営となっており、不必要な監視・規制等は行われていない。
この「学校・公園・外周部」における囲い込みの回避及び利用規制の弾力化による利用者の増加は、敷地管理者(この場合公園課及び教育委員会)相互の熱意に起因し、結局は他者への信頼性が、その空間利用の高次化を決定しているといえるだろう。
この様に管理機能を払拭化させ、公園利用者に与える心理的なバリアを解消していくことは、公園を地域に開かれたものとするためには欠かせない視点であるといえ、それらの実現にあたり、時として管理者側の責任を利用者のモラルに委ねる決断も有効であるといえるだろう。
5.曖昧性の確保
生きた公園づくりの視点として最後に考えるべきことは、公園の持つ機能性であろう。
公園は法制度によって「都市施設」として位置付けられているため、そこにある必要性を何らかの形で立証しなければ都市の中に設置することは難しい。
通常の公園には緑地保全や休息、レクリエーションなどの機能的要素が求められ、それらが都市の中で存在するための理由付けとなることが多い。
しかし、小公園の場合、計画段階においてその小空間の機能的価値が認められにくいため、機能性の根拠を施設設置に頼らざるを得なくなってしまう事がある。その結果、施設過多で必要以上に機能定義された幕の内的な公園空間となってしまい、数年後には時代の要請に対応しきれずに改修されてしまうといった事態が起こりやすくなるといえる。
つまり、その様な施設配置による明確な機能性を有した空間では利用自体が低次化してしまうため、外部から発生する諸活動を受け止める余地が無く、「地域性の取り込み」という点に関しては機能低下を来してしまうともいえる。
また一時的な諸活動の受け皿としてだけでなく、住民が愛着ある空間として「創り・育てる」永続的な公園利用を可能とするための余地としても価値ある空間となるであろう。
前述した街区公園施設の柔軟化を受け、再度その地域に望まれる機能定義をするにあたり「遊具に代わる何を設置すればいいのか」という問いに対し、「空間自体を残しておく」という解答も一つの決断としてありうるのではないだろうか。
昔は当たり前のように町の随所に見られた「空地」のような曖昧な場が無くなりつつある現代において、そういった空間自体の価値を公園の一機能として取り入れることは、今後望まれることであろう。
6.つくってみたい小公園
以上「地域性を有した公園とは何か」という問いに対し、一つの捉え方として述べさせてもらった。その中で、地域性を「そこにある生活空間」として位置付け、如何に日常生活の延長線上としての無意識的な公園利用を実現させうるか考えてみた。
その結果、生きた空間として公園を成立させうる条件として「生活空間と融合化した公園配置」「管理機能の払拭化による心理的バリアの解消」「施設配置に拠らない曖昧性を有した機能設定」等が挙げられた。
それらは本来の設計業務に取り掛かる前段階の計画的要素ではあるが、それら無しでは設計自体が結局表面的な上塗り作業にしかならず、地域性を有した公園とは言い難いものとなってしまうだろう。
また、小公園は住民に使われて初めて価値が出るともいえるため、設計者の思い入れからの計画だけではなく、計画段階において何らかの形で住民の意見を引き出し、それらをその場所にあった形に落としていく事も設計者に望まれる役割であろう。その「読み込み方」が「地域性をどう捉えるか」ということと同様、設計者の裁量に掛かってくるといえる。

結局、自分自身が「つくってみたい小公園」とは、融合・払拭・曖昧化といった「公園」の存在自体を潜在化させていく方向であり、その原型となっている像は、最初に述べた本来「公園」とは定義されえない、住民達の自然発生的な町の隙間のような空間であるといえ、その様な生きた空間を「誘発」させうる条件を整えていく作業として貢献していけたらと思っている。


<補注・文献>
1) 建設省都市局公園緑地課監修(1995):公園・緑地・広告必携,186-189:ぎょうせい
2) 同上: 同上,252:同上
3) 日本住宅公団宅地事業部(1969-1973):KOH NEW TOWN GREEN MATRIX REPORT,35-36
4) 木下剛他(1998):港北ニュータウンのオープンスペースシステム形成過程における公園緑地の位置づけ:J.JILA 61(5),724
5) 安場浩一郎(1998):震災復興52小公園の計画思想に関する研究:J.JILA 61(5),429
6) 東京都新宿区みどり公園課:「学校と一体となった公園」:公園緑地VOL.59.2,51-55:(社)日本公園緑地協会